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伝えるということの大切さと責任について1
最近だいぶ医学番組が充実し、啓蒙が進んでいるなと感心しています。専門外の領域であれば私でさえ「へぇ~」と勉強になるぐらいです。健康に関心のある患者さんはだいぶ勉強し、来院し質問してきますのでこちらも気合を入れて勉強しない […]
2016.01.06
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パーソナルスペースとは
物理的な距離として他人がこれ以上近づくと不快に感じることです。実は日常の診療においてもこれが存在します。私は精神的パーソナルエリアとかんがえています。例えばある症状で悩んで受診した方がいた時。問診、説明においてどこまで踏 […]
2016.01.04
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印象に残ったものは
患者さんと散歩することでした。日立総合病院に勤めていたころの初期はよく患者さんを車いすに乗せて病院の中庭に連れて行って2人で日向ぼっこをしながら雑談をしていました。はじめのころは看護師に断らずにつれて行っていましたので患 […]
2016.01.04
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後輩には
いっぱい映画を見なさいと指導していました。「なんで?」と思うかもしれませんが医者としてあるべき姿とは勉強をして知識を広げるのは当然ですがそれ以外にそれをどう患者さんに伝えるかがあると思います。その際に医者って結構ずけずけ […]
2016.01.04
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町医者の徒然草6 その後の病院の対応は
実に迅速なものでした。誰も経験したことのない天災でしたが各部署の責任者、医師が一同に集められ、報告と方針が言い渡されました。ライフラインは断絶。自家発電に頼るしかない。救急車はすべて受け入れろ!!そう言い渡されました。私 […]
2016.01.04
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町医者の徒然草5 今でも忘れられませんが
あの日は3月11日金曜日でした。「業務も終わりあとは回診だけだ。あぁ~今週も終わったな~」と思いながら医局の席でしばし休んでいたところ2時46分。急に医局の地面が細かく低く震え、その後激しい縦揺れに見舞われました。はじめ […]
2016.01.04
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町医者の徒然草5 石の上にも3年といいますが
私は日立総合病院に10年近く勤めておりました。はじめのうちは若手であるためまだまだ経験が少なく、同期後輩と一緒に勉強会をやったり、飲みに行ったりしていました。時は過ぎるのは早く1年、2年と上の年数になってくるとそういう機 […]
2016.01.04
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町医者の徒然草4 当初は
ぼんやり2年間で帰ってきてね、って医局に言われた気がします。先輩も確か2年間で医局に戻った気がします。自分はどうしよう・・・そう悩んでいた時に循環器部長からスタッフとして採用してもいいといわれ「おねがいします!!」と即答 […]
2016.01.04
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町医者の徒然草3 勤めていた病院は
茨城県日立市にある日立総合病院でしたが、ここは戦前からあった病院で地域の中核医療を担う由緒ある病院でした。その病院に勤めて一番びっくりしたことは医局が分局していない!!ということでした。それまで大学病院にいたころは医局と […]
2016.01.04
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町医者の徒然草2 医者としてはの分岐点は
私は2つありました。というよりは一般的に2,3つだと思います。私が研修医だったころと今では少し違いますが、あまりシステムは変わりはないと思います。まず一つ目は研修が終了した後の専門を決める時。私の時は2年間の研修後に通常 […]
2016.01.04