町医者の徒然草2 医者としてはの分岐点は
私は2つありました。というよりは一般的に2,3つだと思います。私が研修医だったころと今では少し違いますが、あまりシステムは変わりはないと思います。まず一つ目は研修が終了した後の専門を決める時。私の時は2年間の研修後に通常は出身大学、あるいは関連病院の医局に入局するわけですが、そこで内科、外科、小児科、耳鼻科、皮膚科、眼科、整形外科・・・等の自分の進むべき道を決めるわけです。現在の研修医制度では前期、後期研修の合計4年の後に専門科を決めるので年数が違えどシステムは変わらないですね。私はたまたま指導教官が循環器医であり、非常に魅力的な先生(人格的にも、学術的にも)だったこともあり研修医になって1か月で循環器に決めました!今ではその先生は教授になって雲の上の人になってます。さて専門科が決まったところで次に場所です。私が研修医だったころは医局制度がまだ強かった頃だったのでふつうは出身大学の医局に収まっていました。進路に関しては指導教官にも相談しましたが「お前みたいに、甘ったれた野郎は外でもまれたほうがいい!」といわれ当時関連病院ではなかったが先輩が研修していた日立総合病院に口をきいていただき研修を受け入れていただきました。実は同期の内科医局入局者の中で外に出たのは私だけでした。ほかの同期は大学院に入学し院生として、研究と臨床を両立していましたが、元来不器用なたちでありましたので臨床を薦めていただいた指導教官の先見の明があったわけです。いまでは大感謝しております。